NO JACKET REQUIRED

PHIL COLLINS

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’85年のソロ3枚目。

出す曲出す曲が次々にヒットし、乗りに乗っていた時期の大ヒットアルバム。

80年代という時代はPHILにとってこれ以上はないと言えるほどの活躍ぶりであった。ソロとしての快進撃が始まったのは’81年のソロデビュー作『FACE VALUE』から。次々にシングルヒットを飛ばしていった。そしてひとつのターニングポイントとなったのは、映画の主題歌「AGAINST ALL ODDS」がPHILにとって初の全米No.1を獲得してから。本国イギリスのみならず世界を活躍の場としていった。アフリカを飢餓から救おうと、イギリスの有名アーティストが集結した世紀のチャリティーレコード「DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS?」に参加。PHILIP BAILEYのソロ『CHINESE WALL』にプロデューサーとして協力。PHILIPとデュエットした「EASY LOVER」が全米No.2の大ヒット。

3枚目を発表した’85年には、もうひとつ大きな話題が。地球規模でのイベント、ライブ・エイドに出演。イギリスからアメリカへコンコルドで移動し、両方の会場でライブを行うという荒業をやってのけた。このころ“世界一忙しい男”との異名をとったほど。

快進撃はまだまだ続く。MARILYN MARTINとのデュエット「SEPARATE LIVES」が全米No.1に。HOWARD JONESのシングル「NO ONE IS TO BLAME」をプロデュース。母体であるGENESISに戻って『INVISIBLE TOUCH』を制作し、これまた大ヒット。GENESISとしてのツアーも大盛況。映画【BUSTER】では主役を演じて役者業もこなし、同サントラからは「A GROOVY KIND OF LOVE」と「TWO HEARTS」が共に全米No.1のヒット。80年代を締めくくったのは’89年の暮れに発表された、ソロ4枚目となる『...BUT SERIOUSLY』でる。



この世界一忙しい男の3枚目は、当時の勢いをそのまま封印したかのような内容。アルバム冒頭のアップナンバー「SUSSUDIO」ではTHE PHEONIX HORNSの面々がブローしまくる。あのPHIL独特の音響処理を施したドラムスも印象的。いうまでもなく全米No.1を獲得。同じくTHE PHEONIX HORNSが大活躍のこちらも疾走感がある「ONLY YOU KNOW AND I KNOW」。しっとりと物悲しい「LONG LONG WAY TO GO」。スローな曲の後で爽快感が増す「I DON'T WANNA KNOW」。美しいバラード「ONE MORE NIGHT」、この曲もいうまでもなく全米No.1。

アップな「DON'T LOSE MY NUMBER」。続いてもアップな「WHO SAID I WOULD」で畳み掛ける。ミッドテンポな「DOESN'T ANYBODY STAY TOGETHER ANYMORE」。ミッドスローな「INSIDE OUT」。アルバムを締めくくるのは第4弾シングルの「TAKE ME HOME」、全米No.7のヒット。この曲はライブの締めくくりとしても定番になっていた。



世界を舞台に破竹の勢いを体現したのであった。




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この記事へのコメント

2015年02月21日 01:14
連続でバラードで1位をとった後に
ススーディオみたいにアップテンポな曲でも1位を取りにいけるというのはすごいです。
80年代を代表するメロディ・メーカーでしたよね。
根幹にはR&Bなどのエッセンスも持ってたりして似たり寄ったりの曲がなかったように思います。
本作では、ドント・ルーズ・マイ・ナンバーが一番好きです。


2015年02月21日 19:12
>ジャム80さん
バラードも勿論いいですが、アップテンポな曲もいいですね。いろんなタイプの曲を産み出せるメロディー・メーカーでした。

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